Look only baby pink

昼飯を食べたあとでベランダに出ることが多くなった。もちろん室内と気温はたいして変わらないのだが、それでも風がある分いくらかはマシ程度だが。
最近はコンクリートのでっぱりが痛い壁に寄りかかって各々好きなことをして貴重な休み時間を過ごすのだ。
「阿部ってさぁ、こういう人と付き合いそうだよね」
データ表を作っていた手を休めて、ぼんやり外を眺めていた阿部の意識はその一言で急に呼び戻される。伺うように顔を向ける。いつも音楽を聴いている水谷は、今日は膝の上に広げた雑誌を眺めていた。
「俺が、なに」
「だから、こういうの好きでしょ?」
こういうの、と言いながら水谷はそれを傾ける。
素直に視線を向けて分かったそれは、みんなで回し読みしている漫画雑誌とも、前に水谷が読んでいたような男性向けのファッション雑誌とも、もちろん阿部が毎週買っているような野球雑誌とも違った。めちゃもてコーデ!という濃いピンクのゴシック体の踊るそれは、明らかに女性用のファッション誌だ。
「てゆか、これすげぇおもしろいよー、阿部知ってる? 男ってね、服の裾ひっぱられるとキュンとするんだよ」
「お前これどっから持ってきたんだよ」
お前仮にも、いや仮ではないか、体育会系の筆頭、野球部所属だろうが。なんでそんなに何の問題もなくそれを広げて真面目に読んでいるんだ、と呆れつつ何故か少しだけ照れつつ阿部は言った。「ん? 友井から」
「ともい?」
聞きなれない名前を、とっさに繰り返すと、今度は水谷が呆れたように溜息を吐いた。わざとらしい。
「チアやってくれてんじゃん」
「……どっち?」
非難されるであろうと思いながら控えめに尋ねると、水谷はますますその眉間に皺を寄せた。
「うっわ阿部くんサイテー、背ぇちっちゃい方だよ、黒髪じゃない子」
「あー、わかった、あの、髪短い」
「そうそう、クラスの子くらい覚えときなよ」
平素の態度と比べて偉そうに水谷が言う。まぁ滅多にない機会を堪能したいのは分かるが、その分かりやすい態度は若干気に食わない。しかしながら全面的に不利であることに変わりはなく、打ち返されるのが分かってるようなボールを与えるのもご免だったので、阿部はとりあえず黙る。すると都合よく、水谷が続けて口を開いた。
「友井にね、モデルの先輩が載ってんの見せてーって言ったら貸してくれた」
「へぇ」
「で、どうよ?」
「なにが?」
「こういうの」
ずい、とそれを突きつけられて、半ば強制的にそのページを凝視する。
ハートにフリル。ピンクに、リボン。自分と全く接点の無いそれらをまとった誌面のモデルたちは、みな明るめの髪を巻いて(これどうなってんだ)、柔らかく笑っていて、肌が白く綺麗で、どう、と言われたら、まぁ、ふつうに。
「まぁ、嫌いじゃねぇけど」
「だーよーねー、そんな感じ」
何が嬉しいのか、水谷はにこにこと再び雑誌に目をやった。
「何だそれ」
「えーそのまんまだよ。阿部、好きっていうか彼女にすんならこういう感じの人がいんでしょ」
「今は全然考えてねーよ」
「じゃあ高校卒業してから。そんときの彼女」
「あー……──まぁなんか、女って感じすんじゃん」
肯定を意味する言葉に、水谷は少し目を瞬かせ、そして笑って言った。
「女の子はみんな女の子だよ」
そう言った水谷の目は笑っていながらも驚くほど静かだった。澄んでいて、どことなく冷たい、この9月の空みたいだった。そりゃそうだけど、と抗議をしようとしたところで、小さく声をあげた水谷が前のめりになってフェンスの下を覗き込んだ。とりあえず口を噤み、同じように視線を落とす。「しのーかー! おつかれぇー!」
突然の大声に草取りから帰ってきたらしい彼女が肩を跳ねさせた。そして視線を泳がせている。水谷がもう一度、彼女の名前を叫ぶと篠岡はこちらに気付いた。麦藁帽子は部室に置いてきたらしい。長ジャージに白いTシャツに軍手、という見慣れた姿で、彼女の肩にはタオルがかかっていた。
「おー!」
自分たちを捉えると安心したように笑いながら、マネージャーは大きく手を振った。隣の水谷が同じように手を振り返した。俺も手をあげて応えようとした一瞬だった。溶けるような声で水谷が何か言った。
────そのままで、いてね。
少しだけ風が吹いた。9月は全てがどことなく冷たい。