くるくると反対側に巻き直して、ポスターに付いている巻き癖を和らげる。そうやってもう一度広げれば「手洗い励行」の字がちょっとだけ歪んで見えた。
「チッ」
たまたま通りかかった保健室の前で仲の悪くない保健医に頼まれた仕事はなんて事のないポスター張りだった。それだけなら別に舌打ちするようなことでもない。
苛立ちの理由は予想外にポスターが縦にやけに長いということだった。
身長は低い方ではない。日常生活で何かに届かない、という状況に出くわすことはまずない。なのだが現状のポスターの長さと壁のバランス、そして自分の背丈を考慮すると、どうにもぎりぎりな気がする。
(つっても椅子持ってくんのも面倒だし)
とりあえず届かなかったらそのときに、と思い直し、画鋲とポスターを持って位置に辺りをつけた。そして、背伸びをしてさぁ貼ろうという時。
「三上先輩」
「っ!」
ふいに声と共に視界が暗くなる。そして背中越しに圧迫された感覚が三上を襲った。
反射的に振り向こうとするが、その人物のせいでそれができない。だが、背後から無遠慮に掛かる声からそれが見知った後輩だと分かった。
「てめ、藤代っ」
「ちわーっす」
力の抜けるような軽さでそう言うと、そいつは俺の手のひらから画鋲を摘んだ。
「先輩保健委員だっけ?」
「いいからどけってーの!」
問いに応えないのも別段気にせずに、藤代はさらに三上に寄りかかる。
構図は体力の有り余っている男子校生によくある、ただのじゃれ合いかもしれない。だが、そこに人に言えない事情が在るとなれば不謹慎なことこの上ないわけで。
焦って押し返そうとするが、藤代はほぼ全力で寄りかかってきた。
「んのバカ、早くどけ! 重いんだよ!」
「だって先輩いっぱいいっぱいだったからさー」
何か背伸びまでしてるから、と笑う藤代の声がやけに近く変に緊張を誘う。
そのまま藤代は三上が予定していた位置より5センチ高い場所へポスターをずらすと、そこに迷わず針を刺した。
「これは俺の出番かなって思って?」
反対側も同じように画鋲を刺してからようやく藤代は離れる。周りに人が居なかったのが唯一の救いだ、と三上はうるさい心臓を全力で無視しながら思う。
「きゅんとしました? っていたッ! いきなり何すんスか!」
「……イヤガラセか?」
「へ?」
「これ見よがしに後ろから抱き込みやがって、喧嘩売ってんのか?」
呆けている藤代に満面で不愉快を示して、数回頭をはたく。
「いって! って、えええええ!? ただの親切心ですよ!! つーか今のははにかんでお礼言うとこですよ!?」
「るっせえよ、大してかわんねーくせに余計なことしてんじゃねえ」
「えーだって俺180あるしー先輩はないしーっって怖い!怖いっス!」
急に慌て始めた藤代の言う通り、俺の眉間には数本の皺が刻まれているだろう。ひどい人相だと言う自覚もある。
「あー、もう、お前残りやっとけ!」
「は?」
髪の毛を乱暴にくしゃりと掻き揚げて、踵を返す。顔だけは見られないように。
「あと4枚あるから。横一列に、ドア挟んで2枚づつ。キレイに貼れよ」
「ええ! 何でそうなるんスか!?」
「半端に手出すな。出したなら最後までやれ」
「あんたどこのクモのじーさんですか!!」
「黙れ、先輩命令だ」
そう言い捨てて、早足で歩き出す。
「え、ちょッ! もー、先輩ってばーッ!」
必死にわめく奴の声を後ろに、別に顔が火照るのはアイツのせいじゃないと言い聞かせて早足で歩いた。