乱暴に椅子を引いて、乱暴にカバンを起き、乱暴に腰掛けたのだ、と振り返らずとも分かるような騒がしさが、音と床から伝わる振動で俺に伝わる。
せっかく1時間目が自習で、早々に課題を終わらせて眠ろうと思ったのに。
そのあからさまな所作を無視することもできない俺が自分の腕の中で溜息を吐くのと同時に、奴は後ろから俺の椅子を軽く蹴り上げてきた。
「…千石」
「おはよ、南」
「…荒れてんな」
「べつに?」
もう一度深い溜息を吐いて振り返った。千石は仏頂面で窓の外を眺めている。
視線すら俺に向けず、ぶすくれている顔も、わざとらしい明るめな声も、頬杖をつく角度も、何だかもう全てがかわいくない。
俺は何だか珍しいものを見るような気分になって、千石の机に肘をつく。 何て言うか、ここまでかわいくない千石は久しぶりに見た。
いや、もちろん普段の千石をかわいいと思っているわけじゃない。
そうではなくて、千石はかわいげの使い方を熟知している奴だから無意味に敵を作るような態度を平素なら表に出さないのだ。
面白くないことがあっても、大抵のことなら笑って流すか皮肉めいたジョークにできる、そんな奴だ。
何だかんだで千石との付き合いは長くそして濃いが、俺は3年になるまでこの男が怒ったところを見たことが無かった。
にも関わらず、俺が今これだけ冷静にこの物騒な千石の対応ができているのは、単純に慣れたせいだ。2年間が何だったんだ、と思うくらいにあっという間に慣れたからだ。
「また跡部とケンカか?よくやるな、お前ら」
「…うるさいよ」
苦笑いを浮かべる俺を、今日初めて真正面から見やった千石は、再びふいっと視線を逸らしてしまう。
跡部というのは恐ろしいくらい美しい顔をしていて、微妙に常人とは逸脱した感性を持っていて、まぁ、ええと、千石の彼氏だ。
そして、この男が千石を怒らせる、ただ唯一だった。
最初はそりゃ焦った、なんせ今まで怒ったり苛ついた千石なんて見たことすらなかったのだから。 だがこう週明けに毎度毎度喚かれると、耐性の付かない方がおかしいだろう。
「で、今度のネタはなんだよ」
「…観覧車」
元々話したくて、聞いてほしくてこういう態度を取っていたのだ、俺が促すと千石はぽそっと口を動かした。
「この前遊園地行って、観覧車乗りたいって言ったんだよ、あの男が」
「うん」
「でももう夕方過ぎてて、ライトとか点灯し始めて、いい感じなわけよ」
「うん」
「そんな中、男2人で観覧車って、どうよ?」
「…まぁ…きつい、な」
「でしょ!?並んでるのはカップルだけだし!しかも乗ったら絶対あいつてっぺんでチューとかするに決まってんだよ!しかも案内係のお姉さんめっちゃかわいくて、そんな人に笑顔で行ってらっしゃいとか言われたくないじゃん!」
興奮して力の入りはじめた千石の声に、はっとして辺りを見渡すが心配はなかった。自習の教室はみんなそれぞれのことに夢中になっている。
「で、やだって言ったら、キレてきたから…俺もこう…応戦…したっていうか…」
だんだんと語気が弱まって、最後に千石は笑った。漫画だったらこう、てへっとかいう効果音でも付くような、わざとらしい笑いだった。どうでもいいけど実際てへって笑う子居るのかな。
「あのさ、あえて言うけど…ほんっとに学習しねぇな、お前ら」
「てへっ」
居たよ。俺の目の前に。しかも舌まで出してるよ。何だか頭が痛い気がして、かくっと項垂れた。
「や、でも本当にダメだよ。あんなキレイな顔してるくせに乱暴だし、ワガママ通って当たり前!みたいな感じだし。しかもあの人カラオケ行くとマジで自分オンステージにするしさ!」
俺が俯いた理由を、微妙に違うニュアンスで受け取ったらしい千石が必死に跡部くんのダメなところを上げていく。
それを聞きながら、俺は不思議と暖かい気持ちになって、笑いかけていた。
「ちょっと、南、聞いてる?」
「聞いてる、聞いてる。ちゃんと大事にしろよ」
「は?」
千石は意味の汲めない俺の言葉に目を丸くする。とっさに呆けた表情は幼くて、俺はオレンジ頭をぐしゃぐしゃにして笑った。
「あ、ちょっとやめろ!セットしたのに!っていうか南なんか変だよ」
「お前には言われたくないな」
まともに話した事もない跡部くんに俺はちょっぴり感謝しているのだ。
それと、実はちょっと羨ましいとも思っている。
だって俺は何年経ってもきっと悪口なんて言われないと思うから。
まさかそんなこと口に出したりしないけど。
まぁだから、八つ当たりくらいなら受け止めてやるから、安心しろよ。
まるで兄のようなことを考えながら、俺はもう一度千石の頭をぐしゃぐしゃにしてやった。