「え?」
聞き取れなかった訳ではもちろん無くて、現実として繋げられなかっただけだ。
腕の中で三上が言ったその言葉を。
「だから、『もう飽きたから別れよう』」
「何言ってんですか」
情交でさっきまで火照っていた彼の身体はもういつもの体温に戻っている。
彼の言葉に別段驚くこともなかったが、冗談でもやはりいい気はせずに苛立ちを三上を抱きしめる力に変えた。
「何度言えばいいんだよ、もう飽き」
「先輩、いい加減に」
「別れたい」
藤代の言葉は最後まで紡がれることなく、途中で途切れさせた三上によって逆に途切れさせられた。その三上の言葉に全く温度が無いことに気づいて、藤代の心臓はどくんと鳴った。
そんな藤代はお構いなしに、抱きしめた腕から逃げるわけでもない三上は再び同じ言葉を口にする。
わかれたい。
「何、言ってんスか?意味分かんないんだけど」
冗談にしては悪趣味なそれに藤代は本気で眉を寄せて声に苛立ちをのせる。そして三上の顔を見るために2人の間に空間を作る。布団の中に空気が入って冷たさに少し身体が跳ねた。
「三上せんぱ―――」
じっと見上げてくる三上の瞳は真っ黒で、何も映さない。
――――あれ、この人、どこを、見てる?
「ま、必死で腰振る天才様は、結構面白かったぜ?」
「せんぱい……?」
「でも、もういいから」
三上の温度の無い声のせいで、息の仕方がわからない。細胞がひとつずつ水を含んでいくみたいで、じわじわと冷えて、重くて、動けなくなっていく。
「だ……て、先輩、俺が好きって言ったら、わかったって、付き合うかって言ったじゃん」
だから『そんなことあるわけがない』?
「ああ、初めてか? 思い通りにならなかったの」
三上は、瞬きをひとつしてゆっくりと藤代の瞳へ視線をあわせた。 その黒に映ることをさっきあれほど渇望したはずなのに、心が跳ねてまた怖くなる。
「お前、俺のこと好きなんだもんな?」
優しく優しく頬を撫でられる。いつもは頼んだってそんなことしてはくれないのにどうして、と考えて見つけた答えに息ができなくなった。
「好き、だよ……、大好き……」
手のひらの優しさに反比例していくのが、現実だとでも言うのだろうか。
いやだ、ちがう、と頭を振って自分の思考と三上の指から逃げ出した。そんなことはない、そんなはずはないのだと悲しいくらい必死に言い聞かせ、あなたが好きだ祈るように告げる。
「あぁ勘違いすんなよ。俺は別にお前が嫌いなわけじゃねぇよ」
黒から灰色になり始めた空がカーテンの隙間からぐにゃりと歪んで見え、目に溜まった涙に気づく。零れたそれが静かに頬をつたうが、彼の指はもう触れようとはしなかった。
三上は見つめる。遠く遠く、藤代ではない何かを。
「俺は、お前が好きか嫌いかだなんて考えたことねえよ」
三上の身じろぎに、シーツが乾いた音を鳴らせた。
「え?」
「えって、だってそうだろ、お前もいつもしてんじゃねえか」
意味がわからないその言葉に、藤代は小さく声を零した。身体はもうとっくに硬直していて声を出すのが精一杯だ。三上はあお向けになると、天井に向かってぐいと腕を伸ばす。
「興味無いものって視界にも入れないし、あっても熱が冷めれば普通に忘れんだろ。それと一緒だよ。お前は無自覚かもしれねえけど、 それって別にお前だけじゃねえんだよ、俺もだし、普通みんな」
地理のコラム。クライフターンのできないやつ。使わないメーカーの新商品。確かに捨てていくそれら。ああそうなのか、と通過するだけ。
「それ、が、何。何で別れるとかになるの」
「お前が俺好きだって言った時さあ、お前に対して初めて俺「興味」持ったんだよ」
全ての細胞は水に飲み込まれて、全身が深く深く水中に沈んでいく。どうしてもうまく息ができない。
身体はまったく感覚がない、皮膚や肉や血が全て無くなって心だけが「いたい」のだと教えてくる。
「そんだけ。俺の「興味」がお前の「好き」と同じモンじゃなかったってこと。まあ、もうそれも無くなるけどな」
ねえ、どうして俺のことを見ないの。どうして、俺の名前を呼ばないの。
―――どこを、見てるの?
「お前は死ぬまで無いかもしれないから、そこには興味あったんだよ」
ダイヤモンドのようにキラキラ光る。
「別にお前のこと傷つけたいとかは無かったんだけどな・・・・まあ」
そこに滲むは後にも先にも、おそらくはただひとつ。
「俺も興味の無いものはどうでもいいから」
殺してくれと、心が叫んだ。