ひつじとアンテナ

「だから監督の話んときくらい寝るんじゃねえよ」
「だってしょーがないんだよ、俺」
小柄な身体を目一杯伸ばしながら半歩遅れてジローが跡部の後ろを歩く。
「なにが、だ。起きてるのが無理ならせめて起きてるフリか起きる努力くらいしろ」
溜息まじりにそう言ったら、ポケットに入れた携帯から小さくバイブの振動が伝わってきた。ジローも気付いたらしい。
「携帯。跡部のじゃない? なってるよ?」
軽く舌打したのがバレてはいないだろうか、と少し心配になった。本当なら、ジローがいなかったら、携帯なんか気にしなかった。いや、気にはするが出るつもりは全くなかった。
たまたま部室に忘れ物を取りに行けば、死んだように眠るこの少年を発見してしまい今に至っている。自分の置かれた状況の不運を嘆いても仕方が無いし、その上で碌に見もせずに切るのは不自然だと思ったので、跡部はひどくゆっくり内ポケットから携帯を取り出すと、予想どうりのディスプレイの名前を認識する。
今度の舌打は隠す必要も無かった。
一連の動作をまだ開ききってない目で追うジローを気にしつつも、もう一度片手で携帯を折りたたむ。
カシャン、と響いた音に続いてジローが当然のことを尋ねるために口を開いた。
「出ないの? 電話でしょ?」
「……いいんだよ」
何がいいのかよく分からないけど、そんなことを言う。そもそも何も良くなんて無いのだが、この状況では他になんと言えばいいのか分からなかった。右手で携帯をぐっと握ればバイブレーションがさらにリアルな振動を身体の中に送ってくる。まるで何かが胎動してる証のようだった。
「あ、千石かぁ」
なんて考えてるとイキナリ核心を突く名前を出されて情けないことに一瞬身体が強張った。
「ねえ、跡部」
ジローの話は脈絡が無い。
こんなジローのかなりの世話を焼いてる忍足に言わせれば、良いときで2,3個、ひどいときは5個以上の文節を自分で付け足さなきゃならないらしいが、そんなことが事前に分かっていても何の対抗策にもならないんではないか、と思ったことがある。
そして跡部は眼鏡の友人の現代文のテストがかなり上位だったのを思い出して、何となく関係性があるように思った。ジローのあまりにも要点のみの話はこんなところで思わぬ効果を発揮していたらしい。
「千石となんかあったの?」
そのジローがいきなり核心をついてきた。
何も答えられずにいると、ジローが携帯をやんわりと受け取ってボタンを押した。バイブの独特の振動音が切れて、辺りの静寂が一層増して闇が濃くなった。
「千石ってさぁ」
そんな中ジローがぼんやりといつもの口調で、今一番聞きたくない人物の名前を繰り返し呼んだ。
それでも俺が何も言わないでいるとまるで独り言のようにゆっくりと話を続ける。
「俺が跡部のこと、とってもきっと取り返さないだろうね」
「……あぁ」
同意はするものの、第三者には言われたくなかった。それにより、感覚は確信へ変わる。
「そんで次会うときにはもうへにゃって笑うんだろうね」
「……あぁ」
そうだ、嘘でも本当でもあいつはまるで全てを知っていたかのように笑うのだろう。自分は薄っぺらい欺瞞にあふれているくせに。
「ねえ、跡部は何で、そんな千石がいいの?」
あぁ、もうその問いについては何十回との予習済みだ。
「そんなの俺が一番、俺に聞きてぇよ」
なんて言葉を濁しても、思いつくのはひとつだけだ。
「好きだから。俺がアイツを」
「うん、俺もそう思うよ」
空を仰いで見る。我ながら何とすっきりした答えだろう。しょうがない、結局はそこに行き着くのだ。
いつか何かで読んだ本に「でも、だって、」を取り除けば結局最初の言葉に戻るって書いてあったのを思い出した。
「でも、次はちゃんと会話しなね」
「は?」
ジローが今まで開きっぱなしで弄んでいた跡部の携帯を普通に電話するように耳元に当てた。
その意味がよくわからない俺に、通話中の証のウィンドウライトが目に入る。やられた。

「聞こえるだけってのも、続くと飽きると思うよ?」

にこ、ととても無邪気にどこかアイツに似た笑顔を向ける。そしてカチリ、ととても小さい無機質な音をさせて通話停止ボタンを押した。