「聞いてんのかよ!」
思っていたよりも、強く、大きい自分の声が薄暗いグラウンドに響いた。それを受けた主将本人と周りの数人が驚いて動作を止めるのを感じ、泉は更に眉根を寄せる。ああ、畜生、頭の中の冷静な部分が俺を嘲っている。
「…悪ィ、ちょっとイラついてた、でもモモカン呼んでんぞ」
「あ、いや、ありがとな、行ってくるわ」
その言葉に乱暴に頷いてから帽子をかぶり直すふりをして、歪んでいるであろう表情を隠した。
そのまま反対の用具庫の方へ走る。そして心底思ったのは悔しいくらいに余裕がない、ということだ。
「いーずみ」
「…おう」
手渡されたトンボをひきずって水谷の隣へ並ぶ。
先ほどの自分の苛ついた声を聞いていたはずだが、水谷は普段と何ら変わらない表情で、それは取り繕ろっているわけでも、気にしているわけでもない、静かな横顔だった。
空気を読めない水谷が、たまに絶妙な距離感からこちらを見て穏やかに笑う、そんな人間だということを泉は思い出して、ゆっくりと息を吐いた。冷静に、ならなくては。
練習で荒れたグラウンドを丁寧に整備していくこの作業は、泉は平素なら割りと好きだった。だが、今はとてもそんな明るく前向きな気持ちにはなれない。
その理由はわかっているけど、考えたくなかった。
「行くよー」
「ん」
声に合わせて、トンボを引きながら歩き出すと、ザリザリとした土の感触が腕に伝わって。
ベンチでは監督と話している主将がいる。自分がそれを見ていることに気付いた水谷が柔らかく笑った。
「花井は、ほんと田島に影響されやすいよねぇ」
「…そうだな」
田島の怪我で4番にコンバートされた花井が絶賛迷走中であることは、少し注意深く彼を見ればすぐに分かる。
さすがに練習へのあからさまな影響はないが、彼の送る視線や、ふとした表情でそれは明らかだった。
無意識に、軽く舌打ちをする。
「ステージ違ぇんだから、余計なこと考えなきゃいいんだよ、あいつは」
「ステージ?なんのステージ?」
「あいつら、重量別の勝負じゃん…お前その石どけた方がよくね?」
顎で示してやると、水谷はその大粒の石がある部分まで戻った。それを待たずに先へと歩く。できるだけベンチを見ないように。花井にイライラしているわけじゃない。だけど、今の花井を見るとイライラするのだ。
「ねーさっきのどういうこと?」
小走りで追いついてきた水谷がもういちど隣に並び、拾った小石をグラウンドの隅へとアンダースローで放る。土を削る音が、最初と同じ大きさになった。
「だから、花井と田島じゃタイプ違うだろ」
「タイプって体格?性格?」
「…両方」
端まで到達し、引いてきたトンボ跡に重ならないように180度方向転換をする。
「なるほどねー、んーでもさぁ」
「なんだよ」
「体格も性格も、そういう意味だと、泉の方が近いよね」
魚のように、心臓が跳ねた。
水谷は、何を、言っている?どうして、そんなことを、言う?
どうして、そんな、俺が、蓋をして、それでも脳裏に瞼に心に焼きついて離れないことを。
田島と俺が近い?花井よりも?―――そうだよ。よくわかったな!
蓋をしかけたものが、どろりと溢れ出して来るのが分かった。
そうだ、自分は田島と同じステージにいるのだ。だから、自分も、いや自分だって、田島がばかみたいに気になるのだ。
水谷はなにも変わらない様子で、トンボを引きずる。隣の泉も、同じように土をならしていく。
泉は一瞬、目を瞑った。
昔から、走るのも、投げるのも、打つのも、人並み以上にできた。できるようになる為に努力をした。それが自信を作っていった。だけど、そんな自分にできないことは、たくさんある。
ひとつ息を吐いて、ベンチではなくフェンスの近くでバットをケースにしまっている彼を眼球に捉えた。そして、その光景を飲み込むようにゆっくりと瞬きをして、立ち止まる。
小柄な体格は、できないことを仕方ないことにしてくれる。
だが、それが理由なのか言い訳なのか考える間もなく田島は軽やかにそれを飛び越えていくのだ。いつだってあの天才は、「ほらね」と笑い、絶望と希望を鮮やかに見せ付ける。自分よりもっと小さい身体すべてを最高の武器にして、俺にできないことをやって見せる。
あの野球に愛された小柄な4番は、俺の可能性を心強く照らし、そして忌々しく逃げ道を焼き尽くすのだ。
自分が立ち止まっているのを不思議がった水谷が、振り返る。
「泉?どした?」
「―――畜生、ムカつく」
「え、なに?」
だけど、それでも、羨望なんか向けてやらない、憧憬なんて抱かない。
ただあの小さな背中に届くように、焦げ付くくらいの熱情を込めて泉は息を吸った。
「何でもねえよ!」