逆光

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「つーか、お前それ何持ってんだ」
「そこでな、見つけたんだ」
拾ったんだ、と使いかけた言葉を直前で変えながら、赤司は半身を少しだけ傾けて腕のなかで眠る子どもを見せてやる。数秒の後、青峰は至極真剣な顔で「ミニリマじゃん」と呟いたので、赤司は笑ってしまった。
「ここに皺が入ると、もっと似るんだ」
赤司が「ミニリマ」の眉間を指させば、青峰も笑いながらめっちゃ見てえと呟いた。
「眼鏡ねえの?」
「俺も思った」
「だよな。なに、あいつの弟とかそういうの?」
「どうだろう。ここまで似ていて無関係とは考えにくいしな……年の離れた兄弟がいると聞いていたから、そうなのかもしれない。そういえば桃井は?」
「なんで今の流れでさつきが出てくんだよ」
「お前の姉妹のようなものだろう」
「……二年のマネとガッコ戻るっつってた。なんか色々やることあるんだと」
「そうか、マネージャーは終わってからも忙し、つっ!」
話の途中、いきなり抓られたような痛みが赤司の二の腕に走った。思わず身を捻れば子どもの首ががくんと派手に揺れてしまい、反射的に身体が強張る。
「赤司?」
「いや、大丈夫、掴まれてしまったみたいで」
「んん……」
「あ、起きるかな」
傾いでしまった子どもの身体を抱えなおせば、赤司の腕のなか子どもはむずかるように呻き、もぞもぞと小さな四肢を動かす。目を覚ましてもらうのと、このまま眠っていてもらうのでは前者の方が良い。そう思い、赤司は旧友によく似た子どもの背中にぽんぽんと軽く触れた。ややあってその子の瞼が持ち上がる。緑間真太郎そっくりの深い碧の瞳が、赤司の姿を映しだした。
「おはよう、体調は大丈夫かな」
「…………」
子どもは黙ったまま大きくまるいそれをぱちぱちと瞬く。情報の処理が追い付いていないような様子だった。気分が悪かったり、痛かったりしない? 赤司ができるだけゆっくりとそう続けて問いかければ、おずおずと小さな頭が縦に揺れた。
「良かった。君、あっちの方で眠ってたんだよ。覚えてるかな」
「……おぼえていない」
幼子らしい高い声でそれだけ言って、その子は赤司の腕のなかできょろきょろと周りを見渡した。
「マジで似てんな、ほんと緑間だ」
赤司と子どものやりとりを黙って見ていた青峰が、ひとり言のように呟く。その声に、ずっと赤司のことを見ていたその子どもが、青峰の方を振り返って繰り返した。
「みどりま?」
「きみの名前で合ってる?」
尋ねれば今度は力強く頷かれる。ああやはり血縁者だった。予想通りの展開に安堵しながら、赤司はメダルを入れたのと逆のポケットからスマートフォンを取り出した。
「やっぱミニリマだったか」
「みにりまじゃないのだよ、みどりまだ」
「ふは、そこまで一緒かよ!」
愉快そうな青峰と不機嫌そうに唇を結ぶ「緑間」のやり取りに自分も口角を持ち上げながら赤司は緑間に電話をかける。しかし呼び出しの機械音が繰り返されるだけで応答がない。仕方ない。諦めて耳から端末を離し、停止ボタンをタップする。
「何、電話出ねえの?」
「うん。まああいつの事だから気づいたら折り返してくるだろう。この子はやっぱり一端運営本部に連れて……ん?」
気づけば、抱えた「緑間」から至極不思議そうな視線が注がれている。どうかしたかな。そう問いかければ小さな緑間は、みどりましんたろう、となめらかに呟いた。
「……ああ、ディスプレイの名前が見えたのか。ええと、君のお兄さんなのかな。その人にかけたんだよ」
小学校に上がるかどうかくらいの年齢だろうによく読めたな、流石緑間の血筋だ。感心しながらそう答え、瞬間、息を飲んだ。
腕の中からじっとこちらを見つめているその瞳。それがあまりにも「同じ」だった。似ているだとか、面影があるだとか、そんなレベルの類似ではない。同一。あり得ないのにそうであると、そう思わせる絶対的な何かがその瞳にはあった。
いや、何か、って、何だ。
頭の一部が辛うじて反論するものの、しかしこちらを覗き込んでくる綺麗な碧の瞳から目が離せない。捕らわれた心臓が早鐘を打つ。そして子どもはゆっくりと言った。
「緑間真太郎は、俺なのだよ」
それを聞いて込み上げたのは「ああやっぱり」という納得感と安堵感。思えば、どうかしていたのだろう。その子どもはまるで、赤司がよく知る緑間真太郎と同じ口調で「とりあえず、降ろしてもらえるか」と、淡々と要望した。

もしもその瞬間をやり直すことができたなら、僕らも本物になれるのだろうか。

***


「……分かんねえけど、三十過ぎくらいじゃねえの」
「そっか、まさこちんくらいだ」
偽物の紫原は左手で大分短くなった髪を軽く梳く。その瞬間見えた彼の右腕に青峰の全身の血が凍りついた。
逞しい上腕から肘の上にかけて、大きく太い手術痕がくっきりと残っている。
頭を殴られたような衝撃だった。多分、もっと、訊くべきことは山のようにあると分かっている。それでもまるでプロバスケットボールプレイヤーのような未来の紫原を目にしているような今の状況で、青峰はどうしてもそれを無視できなかった。
「お前、それ、どうしたんだよ……」
そう尋ねた自分の声は、酷く情けない、泣きそうな声だった。まるで全てを分かっているように、まるで全て知っているように、その大人は優しく曖昧に頷いた。
米神を一筋汗がつたっていく。首筋を刺すように太陽が照らしている。わんわんと鳴く、蝉の声が遠かった。

三十歳の紫原敦は、青峰のやけに強張った細い声に触れることはなく、ただ静かにゆっくりと自分の腕に走る大きな縫い跡を宥めるように撫でてから、怪我しちゃったみたいだねえ、と言った。
「……動かせは、するんだろ」
「どうかな、腕上げるとき、ちょっと痛くて」
は、なんだよそれ、お前らユーレイみたいなもんなのに、痛いのは分かんのか。
思った言葉は声にならない。ものすごい速度で心が乱れていく。代わりに皮肉げな笑いが零れてしまう。苛立ちが止まらない。そんな青峰に動じることなく、ただ凪いだ海のように穏やかな彼の瞳を見ていられなくて、青峰は無理やり視線を落とす。
地面にできた自分の影に、汗の玉がひとつ、額から滑り落ちていった。
「……治んの」
祈るような自分の声を聞きながら、俺は何を言っているんだ、と思う。馬鹿げている。この紫原は、偽物だ。あの緑間と同じように消えるのだろうに。そう、言っていたのに。どうしてそんなことを聞いているんだ。どうして、こんなに苦しいんだ。


俺の中にあるのは未来への恐怖だよ。

***


同じ気持ちだったらしい青峰が誤魔化すようにコンビニの袋を揺らせば、現金にもぴょいと黄瀬が柵から降りてくる。身のこなしが軽やかなのも変わらないようだった。
「やったー、アイス! ソーダある?」
「ソーダは赤司の袋。あと金出したのも赤司」
「そんな気してた! 赤司っちありがと!」
まるで中学のときから変わらない騒がしさに赤司は小さく笑う。今日だけだからなと言いながら、ソーダ味のアイスを渡してやった。
「でも俺は嬉しいけど、こんな時間までこんなとこいたら二人とも見つかったときやばいんじゃないスか?」
「なんか言い訳考えとけ。得意だろお前そういうの」
「人を何だと思ってんの……疲れてずっと寝てた、とか」
「下手くそか」
「じゃあ彼女からもらったキーホルダーなくして探してた、とか」
「絶妙にうまいな」
三人でアイスを食べながら、どうでも良い会話をして時間を過ごしていく。もしかしたらと思ったとおり、いつまで経っても歩道橋を利用する人は誰もいない。緑間のときも、紫原のときも、そういうことだったのかもしれない、と思った。
青峰と黄瀬は、途中エアワンオンワンをしたりしていたが、日付が変わったあたりからは大人しく橋の両端に座っていた。
次第に車やバイクのエンジン音も大分聞こえなくなり、ああ今自分は夜の真っただ中にいるのだと感じて夜空を見上げる。薄い雲がゆっくりと流れていく。ベガとデネブは見つかったが、アルタイルは見えなかった。

暗い夜のなか、何をするでもなく赤司と青峰と黄瀬は、ただ一人ずつそこに居た。


俺が食べたのはね、自分以外の誰かになりたいって気持ち


憧憬。嫉妬。切望。興奮。恨み。焦燥。嫌悪。歓喜。
あのとき、ここには全ての感情があった。