校舎の窓から見える中庭に、部員たちの姿がある。各々、練習着ではなくコートやジャージを羽織っているので、いつもの数倍もこもことしたシルエットだ。そんな姿で雪球を投げあう彼らを優しく見つめながら、百枝は言った。
「行かないの?」
隣で同じようにその光景を窓から眺めていた水谷文貴は、その言葉にはい、と返してきたものの、それが肯定ではないことはすぐに分かった。その場を動こうとはせず、自分より少し高いところにある瞳はただぼんやりガラスの向こうの光景を見ている。
「…行きたくない?」
そんな意地の悪い質問にはしっかりと頭を振って「ちがいます」と返す。それに自分が安堵していることに気付いて、ちょっとだけ複雑な気持ちになった。
人が立ち止まる瞬間には立ち会いたくない。それはきっと本能だろう。
「監督」
以前、泉が話していた。水谷は誰かを呼ぶとき、たいてい名前の前に間投詞を入れる、と。ほとんどは「ねぇ」か「なぁ」で、少し言いにくい内容は「あのね」と一区切りする、と洞察眼に優れている1番打者は続けていた。
だからと言って、これから水谷が言う内容が言いやすいものだとは思えなかった。
「なぁに?」
視線は向けずに、できるだけ穏やかに彼の耳に届くように声を出す。
ガラスの向こうで雪球を作る三橋と阿部がこちらに気付いて小さく頭を下げた。軽く手を上げてその2人に応える。隣の彼は手を振りながらやわらかく笑っていた。
「……俺、野球以外でも楽しいもの知ってるし、好きなことあるし、行きたいとこもあるし、したいこともあるんです」
そしてその見慣れた笑顔のまま、どきりとするくらい冷たい声で水谷は言葉を続ける。
「4月より捕れる球増えたし、昨日測った50mは」
「0、7秒縮んだね」
ガラスの向こうで田島の投げた雪球が三橋の顔に直撃した。阿部の怒声がガラス越しでも分かるくらいに響き渡る。再び笑う水谷が、はい、と言って、そして続くのはでも、だった。
「でも、俺、今週のオリコン知ってる、クラスの女の子から花井のこと好きだっていう相談聞いた、好きな服のブランドも決まってきたし、今見たい映画、2つあるんです」
力の抜けるようなこともたくさんしてくれるけど、不思議と敏いところがある子。故意か天然かは測りかねるがとても器用に立ち回れる16歳になったばかりの野球少年。自分の中での彼は、そんな人間だった。
「あいつみたいに、楽しい事はそれしかない、みたいにできない」
悲しんでいる自分に気付く。言葉にじゃない。それを笑って話す彼、そのものに、だ。ほんの一瞬、ただ純粋に彼を抱き締めたいな、と思ったのは、過ぎた母性か、それとも男に見えたからか。
その彼が、こつんと額をガラスに当ててごめんなさい、と言った。カーテンを引くように滑らかに頬をすべった茶色の髪の毛が彼の表情をきれいに隠す。
「俺だってだいすき、なんだけど、なぁ」
搾り出すような本音で曇るガラスを叩き割ってしまいたい、と無性に思った。