全力自転車

ギアは最軽。ライトアップ完了。向かう先は、君。

「あ゛―――――・・・」

右側に走る線路にそった長い一本道を疾走する。
車が一台しか通らないルールのその道は、中途半端に広くなっており何件か事故も起こったらしいが今は好都合だった。

「っだ――――もう!」

愚痴にもならない唸り声をあげながら、中学テニス界最高峰を誇る動体視力をフル活用させる。そして目的地に2分弱くらいは早く着ける細い路地に突っ込んだ。
惰性と一番軽くしたギアのおかげで猛スピードに回転するペダルに半ば意地で脚を乗せた。

そのことに気づいたのは間抜けにも自分の家の前だった。差し込もうとする前に違和感に気づいたものの、俺がことを理解するまでに五秒くらい要した。
普段ならいるはずのジャムおじさんのキーホルダーの代わりに触れていたのは『男子テニス部』の青いタグ。これが見慣れた黄緑のタグならどれだけよかったことか。あ、どっちにしろ家には入れないのだけど。

そんなタイミングに振動した携帯は俺が本来持っているはずの鍵の写メと『駅 20分』という跡部くんからのありがたいメッセージを受信した。

「まじで……?」

一日の疲労やら混乱やらで呆ける身体を叱咤して、とりあえず自転車の向きを180度回転させる。
最近引っ越してきたチワワを飼っているキレイなお姉さんの家はこの辺だったことを意味もなく思い出したのを最後に、俺は全力で地面を蹴った。後19分ってとこだ。

ことの始まりはやっぱり俺だ。
最近できたお好み焼き屋さんで夕飯一緒に食べてて。そういえばさーなんて話題に出したのがピッキングの話で。氷帝の鍵なんて盗まれたら大変だねえ、なんて言って。跡部くんが俺の鍵を盗めるわけはないって言って。盗める盗めないで言い争って。

百聞は一見にしかずってことでこっそり鍵すりかえたんだった。

そんで帰る直前に『アレ?跡部くん、鍵は?』みたいにするはずだったんだって。

「忘れちゃ意味ねえじゃんね、俺」

細道を出ての信号待ち。ここまでノンストップで来たからずっしりと疲労がおそってくる。
ほんとは悔しがる跡部くんが見たかったけど、もっと他のものに会える気がするなー。うっわ、俺ラッキー。自嘲気味に笑っていると反対側の信号が赤り、同時にもう一回地面を蹴った。さっきより強めに。畜生この微妙な坂め。バリアフリーはどうした。

「あと……7分っ!」

でも今は社会への不満はまぁ置いといて。とりあえず走ったほうがいい。

「大変…申し訳あり、ませんでし……たっ」
「おう、大変申し訳ないことしてくれたな」

無言の圧力を相殺する気力も起きないし、何よりきつくて顔があげられない。
それでも辛うじてとりあえずポケットに入れておいた元凶を渡す。腕までプルプルしてるのがわかるけど、わかったところでどうしようもない。

「ちょっと、キミ、人間……?全力疾走で疲労困憊の恋人に……なんで、こういう仕打ち……できるかな……?」
「俺にもう一度会いたいがために、部室の鍵と自分の家の鍵を取り替えたかわいい恋人にぴったりの仕打ちだろうが」

俺の後頭部に跡部のヒジがぐりぐりとねじこめられ俺の頭は買い物籠に沈む。普段ひとの笑顔をうそ臭いとか言ってるくせに絶対自分笑ってるよ、コレ。

「ったぁ―――……っ」

ようやく開放された頭をさすりながら跡部くんを見ればまったくこちらに目を向けず、携帯をいじっていた。いくら俺が悪いっつってもちょっと悲しくなってきた。

「あー、じゃーほんとにすいませんでした」

これ以上傷つくのも癪だから早々に立ち去ろうと俺はもう一度跡部くんを覗き込む。かしゃん、と携帯を片手でたたみ顔を上げたので今度はちゃんと目が見れた。

「……じゃあな。二度とすんじゃねえぞ」
「え、ちょ、どこ行くの?」

てっきり車を待たせてあるのかと思ったら、跡部くんは歩道に入ろうとした。

「今この先工事してんだよ。多分車はもう少しかかるからそこで本でも読んで」

なんで言ったんだろう「うち来る?」なんて。

「おま、千石っ! 雑にもほどがあんだろ!!」
「うっさいよ。俺だってこんな運転できた自分にびっくりだよ。てか大体跡部くんのが身体でかいんだから跡部くんこぐのがフツーでしょ?何で俺にやらせんの」
「俺様がてめえを乗せるだぁ? よくそんなこと言えたな」
「あぁやっぱりいいです。青春学生ものにはお決まりのシチュエーションなのに、相手がキミだと自転車ですら変な乗り物に見えてくるよ」

蛇行運転というよりぶつからないピンボールのような運転をしている自覚はある、自覚はあるが。後ろで好き勝手にバランス無視して動きまくる人間相手の(しかも自分よりでかい男)2ケツはきついんだ、ほんとうに。

跡部景吾とチャリ2ケツだなんてやったことあるやついるのかな。俺が記念すべき第一号なのかな。うっわーこえええええ。
まだ後ろでぶつくさ言ってる跡部くんに軽く相槌だけ打って、本気で運転に集中する。これは気を抜いたらやられる。

行きに来た道を選ばなくて本当によかったと心から思う。あんな狭いところこんな運転したらあの細道を抜けた頃には二人とも流血沙汰だ。いや、抜けられたらまだいいか。
夜の河川敷なら車はあんまり来ないから広く走れるし。どっちに倒れたとしても、死にはしないし。跡部くんアホだけど運動神経はいいし。それに俺はラッキーだし。

「お前さ、何で俺呼んだんだ?」
「んー? ……え?」

運転にも大分慣れて、横のりに決定した跡部くんも大分おとなしくなったと思ったら、いきなりそんなこと聞かれて素でびっくりした。コンビニのやけに明るい電光が俺の画面で浮いている。

「や、別に、なんだ。わかんね……気まぐれ?」

馬鹿正直にそう言ったら反応が無い。気になって後ろをチラっと見てみたけど、暗くてあんまり分からなかった。

「……ふーん」

だけど、その『ふーん』がなんだかすごく可愛くて、ひどくさみしそうだった。
俺がこうさせたのなら、嫌だと思った。

俺は俺のことはなんとなく分からない。

「ね、跡部くん。見て」
「何を」
「俺を」

俺はキミのことはなんとなくだけどわかることもある。

「てばなし!」

跡部くんの「馬鹿何して」まで聞こえたと思ったら、自転車はゆっくりと左に傾いて、俺たち二人を川スレスレまで落っことした。

「はははははは、結構危ないもんだね」
「…………せめてもの情けだと思え……腹にしといてやる……覚悟しろ…………」

うつぶせになってる跡部くんと仰向けになってるぴくぴくしてる俺。そんで俺のチャリが直径8メートルくらいの円に集中して倒れていた。
一歩間違えばほんとに大変なことになってたかもしれない。

「でも大丈夫だった」

空を見ても星は見えない。ここんとこ、ずっと薄い雲がかかってる。

「川に落ちたかもしれないし、自転車は壊れちゃったかもしれないし、跡部くんだけ落っこちたかもしれないし、俺だけ死んだかもしれないけど」

「でもホラ、大丈夫だったからさ」

よし、行くかーって起き上がった瞬間のボディーブローはきつかった。

「信じらんない、マジで入れるか……」
「俺もお前が信じらんねえよ」

自転車を起こして、転がして、残りは二人で歩くことにした。
ね、跡部くん。さっきの『あぁ』は可愛くなくて、嫌じゃなかった。