まるをあげたい

太刀川さんがテーブルに置いたぶどうは一粒一粒が大きくて内側から光っているみたいだった。
「これどうしたの?」
手元のゲーム画面から顔を上げてたずねれば、太刀川は「もらった」と言いながら国近の隣に腰を下ろした。ソファのスプリングが少しきしむ。ジャイロが狂わないように傾きを微調整しながら敵を避けてアイテムを回収した。
季節はずれの立派なマスカットはゲームキャラがプリントされた白いプラスチックの平皿にのせられている。わたしが以前持ち込んだものだ。太刀川さんはきっと給湯室にあって目についたこれをそのまま取ったんだろう。不釣り合いだと思いつつ、でもわたしも多分同じようにするので口には出さない。
宝石みたいなあかるいグリーンの粒を指先でもぎって、太刀川さんはそれを皮ごと食べた。ひとつ、ふたつ、みっつ。
「太刀川さんぶどう好きなの?」
「うまいやつは好き。あと楽だろ、皮とか剥かなくていいからこのまま食えるし。食べるか?」
「種あるやつ?」
「ないやつ。皮も食えるって」
「食べる」
ゲームの機体を持ったまま口を開ければ、太刀川さんはちぎったぶどうを一粒放りこんでくれた。口の中で果肉がはじける。やさしいあまみがあふれだして暖房で乾燥していた咽喉をつめたく潤してくれた。
「えっ、おいしっ、高いやつでしょこれ」
「多分な。こういうカゴに入ってた」
「お見舞いとかでよくあるやつだ」
「そうそう、他にもメロンとかりんごとかあった」
ボーダー上層部の大人たちはいろんなお付き合いがあるようで、ちょっとした贈り物をよくいただいている。きっと誰かがもらったフルーツバスケットをその場にいた隊員に好きにとらせたのだろうな、と想像する。
「ねぇもういっこちょうだい」
ふたたびねだれば太刀川さんはまた一粒ぶどうを口に入れてくれた。まるい果実を奥歯で噛む。ひろがる果汁はすっきりしているのに贅沢にあまい。
「お前さ、こういうのよその男にやるなよ」
太刀川さんは自分の口とわたしの口とに交互にぶどうを運びながら今更そんなことを言った。
「やんないよ〜、うちでだけ」
忠告の意図をただしく汲んでそう答える。ゆるいとかルーズだとか言われるが国近にも内と外の線引きはある。変な誤解をされる方が面倒だし、なにより危険だ。こんな無防備な姿はそうそう晒さないし、誰彼かまわず手ずから物を食べたりしない。今は年下ぶって「うち」に甘えているだけだ。
「あいつにもやんなよ、俺だけにしとけ」
いきなり乙女ゲームのスチル付き決め台詞のようなことを言われたけれど、これは太刀川さんがわたしに恋焦がれてこぼした言葉じゃないのはあきらかだった。
「出水くんたぶらかすなってこと?」
NICE HIT!攻撃がハマったことを知らせるサウンドエフェクトが2人きりの隊室に響く。隣の太刀川さんをうかがえば表情を変えることなく手元のぶどうを見つめていた。
「……太刀川さんてさー、わりと出水くんのために、んむ」
ぶどうを口に押し込まれる。最後までは言わせてもらえなかった。
「おつかれーっす、もー外まじ寒い!」
そこへどんぴしゃりのタイミングで扉がひらき、制服にマフラー姿の出水くんが飛び込んでくる。そしてわたしたち、まるでいちゃいちゃぶどうを食べさせあう彼氏と彼女のようなわたしたちを見るなり、凍りついたように固まった。
「あ……」
ぱしゃん。ドアが閉じる機械音はまるで出水くんの心が潰れる音のようだった。
「あー……出水?」
「えっと、あー、え、これ、そういう、こと」
「いや違う、えっとな、待て、違うぞ」
めずらしく慌てた様子で太刀川さんは立ちあがって出水くんのそばに寄った。けれど出水くんは太刀川さんから避けるように後ずさり、かたくなに視線を合わせようとしない。
「いや、別にごまかさなくていいですって、外で言ったりしねえし。でも、え、びっくりした。なに、いつから? 京介知ってんの? あ、もしかして知らなかったのおれだけ、とか」
「違う違う違う、話聞け」
わたしは口の中に押し込まれたぶどうを噛みながら、脱ぎっぱなしにしていたスリッパを履いて立ち上がった。ブランケットとゲーム機はそのへんに放って、代わりにテーブルのうえのお皿をとる。ソファを迂回して、ひとつしかない扉から出水くんが逃亡しないような位置取りをしたうえで、まるで泣きそうな男の子の名前を呼んだ。
「出水くん」
房についているなかでいちばんすてきな一粒をちぎりとる。そのまま行き場をなくして迷子になっていた視線の先へその果実を掲げれば、寄生木をみつけた小鳥のように薄い茶色の瞳はようやく国近を映した。
「はい、あーん」
「へっ!?」
「あーん」
何度か繰り返せば、うすい唇はとまどいながらもおずおずと開かれた。そのあいだをわりひらくように国近はとびきりの一粒を入れてやる。もごもごと片側の頬が動いたかと思うと、ややあって彼は淡々と「うまい」とつぶやいた。
「おいしいよねえ、皮も食べられるんだって。やだったらティッシュにぺっして〜」
言い終わる前に出水くんの喉仏が上下する。
「さっきのはバトル中だったから取ってもらっただけで、わたしと太刀川さん別に付き合ってるとかじゃないよ。ね、太刀川さん」
話を振れば太刀川さんがすぐに大きく頷く。あまりに真剣な顔をしているのでわたしは笑いそうになってしまった。
出水くんはぱちぱちまばたきを繰り返してわたしと太刀川さんを交互に見てから、絞り出すように細くうめいた。
「っ、まっぎらわしいなぁ!」
「ははは」
全身から匂いたつようだった悲しみは散っていき、思い出したように空気がほどける。よかったよかった。出水くんがマフラーとエナメルバッグを置いて向かいのソファに座ったのを見届けて、わたしも太刀川さんも元の位置に座り直した。テーブルにぶどうの皿を戻して放り出していたゲームを回収すると、出水くんは「てかなんで1月にシャインマスカット? めっちゃうまいし」と、さっきまでとは別人のようにあっけらかんと言った。
「太刀川さんがもらったんだって。わたしもういいからふたりで食べちゃっていいよ〜」
「へえ、いただきまーす、本部長から?」
「いや城戸さん」
「城戸さんてフルーツ似合わないね〜」
「たしかに」
「柿とか梨とかなら……いやなんの話これ」
喋りながら出水くんはぶどうに遠慮なく手を伸ばし、残り少なくなった粒をもぎっては口に運んでいく。
「あーもーびっくりして損した」
「お前すげえ慌ててたな」
「太刀川さんもじゃん、なんか浮気見つかった人っぽかったすよ」
「あ? いやそれはお前が……あー」
「……おれ?」
太刀川さんは一度言葉を止め、じっと出水くんを見つめて笑う。
「仲間はずれにされたみたいでさみしかったか?」
「っ、そんなん言ってないでしょ、普通にびっくりしたんすよ。太刀川さん部下に手ぇ出すのかよって」
「おいやめろその言い方、誤解を生むだろ」
ふたりの気安いやりとりを聞きながら、太刀川さんの言った、さみしいという言葉が耳に残った。たぶんそれは当たっていて、でも普段出水くんはあまりそういう気持ちを見せたがらないから、さっきの動揺は意外だった。
だけどとりまるくんが正式にうちを抜けて、4人の太刀川隊が先週で終わりになったこの矢先にわたしと太刀川さんがお付き合いをはじめていたとしたら、それはすこし切なくなってしまうかもしれない。
「まあ安心しろよ、お前がいやなことはしない。これでも一応嫌われないようにしてるんだ」
太刀川さんはそう言って、背もたれのクッションに合わせてぐうっと伸びをした。
「……太刀川さん」
「ん?」
出水くんがぶどうを差し出す。それは最後の一粒だった。やわらかく目を細めた太刀川さんはそれをぱくりと食べて、うまい、と言った。

「なーんてこともあったよね〜、あれ唯我くん入る前かぁ」
なつかしい。あの冬に3人で食べた季節はずれのシャインマスカットは本当においしかった。
国近はうんうん頷きながら、隊室のソファの上で舌を絡めあっていた太刀川と出水に向かって笑いかけた。
「嫌なことはしない、だっけ〜?」
ラウンジで宿題を教えてもらって帰ってきたら、隊室の床には学ランが脱ぎ捨てられ、太刀川さんの膝のうえには出水くんがまたがっていた。いちゃいちゃしている。どうみても。現在進行形でいちゃいちゃしている。
「ゆ、柚宇さん、あの、ちが、これは」
「こいつが嫌なことはしてないぞ、ねだってきたの出水だし」
「あんた黙れマジで!」
出水くんが濡れた唇で怒る。太刀川さんは出水くんのTシャツの裾から潜りこませていた右手を抜いてなだめるように動かした。
「柚宇さんいや違うから!」
「えっ違うの?」
ここからごまかす方向でいくの!? べろちゅうしてたのに!? 無理じゃない!? そういう意味でまたびっくりした国近は改めて2人の体勢を凝視する。
意義あり。太刀川さんの証言どおり、出水くんに太刀川さんの膝にのる意思がなければこうはならないんじゃないのでしょうか。
国近はどこか楽しげな太刀川にも同じようにたずねた。
「違うの? 太刀川さん」
「んー、そうだなあ。俺は違わなくてもいいけど……違うの? 出水」
「っ、いや、………………ち、が……わ、ない、かも、しんない、けど……っ」
真っ赤になってそう言った出水くんも、その震える声を真剣に聞いていた太刀川さんもなんだかとてもかわいかったので、わたしは2人のあたまを撫でてからオペレーターデスクに向かった。違わないなら意義なしです。
「またぶどう食べたいな〜」
「……買ってきます」
「唯我うまいとこ知ってそうだな、聞いてみるか」
楽しみにしてるね、そう返して国近はゲームのスイッチを入れた。今日は久しぶりに法廷バトルのあれでもやろうかな。

END