ダウトカウント

「抵抗、しないんスか」
試合でもそう見れない、本気で切羽詰まったような顔をした藤代が「しないなら続けます」と言ったのが聞こえた。でも実際それは声でなくて、口をぽそぽそと開け閉めする映像に合わせて、音が鼓膜を叩いた感じで。
聴覚と視覚の連携がうまくいってないらしい。
そしてその分、いわゆるシックスセンスというやつが研ぎ澄まされていく。
頭の中で、警報が小さく鳴った。
分からない。その言葉が俺の脳内のほとんどを占めていた。だって全く分からないのだ。藤代がしようとしていることも。俺が動けない理由も。どうしてこうなったのかも。
分からない、全然。俺は何も分からない。
どくんどくんと、だんだんペースをあげる心臓を落ち着けるように、たったひとつの言葉を反芻していると、ふいに藤代が視界から消えて目の前が暗くなった。だが、次の瞬間理解する。理解は視覚からでなく、唇の触覚だったけど。
「んッ」
キスをされた。
藤代が消えて目の前が暗いのは、近すぎたからなのだとぼんやり分かった。すぐに舌でも入れてくるのかと思って目も瞑らずに身構えていたら、藤代は身体を少し浮かせた。
なんで、と呟いた藤代の声は小さかったが、真っ直ぐに突き刺さった。
藤代が俺を組み敷いた、と表現するのが一番妥当だろう。同じくらいの体格の男が今、俺の上に馬乗りになっている。
午前0時を回ったこの部屋が息苦しいのは、なにもエアコンをつけ過ぎたせいだけじゃない。育ち盛りの男二人を受け止められるつくりはしていないと、ベッドが悲鳴をあげた。
「ちょ、待って」
当たり前だが、組み敷かれたことなんて初めてだった。それにしては案外落ち着いた声が出て小さく安堵する。
大丈夫、大丈夫、大丈夫だ。とりあえず落ち着いて。そうだ、何かのマチガイかもしれないのだから。これが藤代のマチガイだったら、これから俺は何一つ間違えずにこの場をやりすごさなければならなくなるはずなのだ。
俺の顔の左右に手を突いた藤代が小さく息を呑む。経験したことのないアングルから見る後輩の表情は、珍しくはっきりしない。
「よく、分かんねんだけど」
始めてみる表情に、困惑しているのだろうか、俺は。
よく分からないが、それ以上直視できなくて、両手で目を覆った。でも藤代が見えなくなっただけで、何にも変わらない。やっぱり何も、わからない。
「分かんないんスか、ほんとに」
「だから何が」
藤代が何を言っているのか意味が分からない。そもそも何を分かればいいのか、それすらも分からないのだ。
言葉はちゃんと返せるのに、頭は冷静になれるのに、身体全身が心臓になったみたいだった。沈黙が少しずつ大きくなっていくのに比例して、どんどん息ができなくなる。
「うそつき」
静かに目を開けば、藤代はさっきとは違う、泣きそうな顔で笑いながらぽつりと落とす。全神経が支配されるのを感じた。
「蹴るでも、噛むでもしてください、本気でやんない限り、やめませんから」
パジャマ代わりにしていた白のロンティをたくし上げられて、俺は反射的に藤代の身体を押し返そうとした。だが、それも想定内とでも言うように、左手でまとめて頭上に押し付けられた。
本当に、本気の全力の、力で。
そうだ、この男はやると言ったらやるのだ。事態は俺が思っているよりも、もっと確かな輪郭をもっている。迷いがない、残酷な力に後押しされて。
藤代はゆっくりと肌をなぞって胸の突起をこねてくる。それと同時に耳たぶに舌をはせた。一瞬で肌が粟立つのが分かる。そして、その一瞬のうちに俺の中の最終警告が鳴り出した。
「ちょ、ッ、ふ、ふじしろッ!!」
今までびっくりしたのはもちろんだったし、それなりに慌てていた。だけど、それでもどこかでまだ平気だと思っていたんだ。何の確証もなく。ただ、まるで俺が認めなければ大丈夫なのだとでも言うように。
だけど違った。
俺が何をしなくても、目の前のこの男が動かないはずがない。
指の腹で突起を潰してはこねるのを繰り返して遊ばれていたが、それに飽きたとでもいわんばかりに、耳を味わっていたはずの舌が降りてきた。本当にアメでもなめるかのように、ゆっくりと、一度だけ。
「ぁッ・・やだって言ってッんだろ!」
舌はまた耳に戻り、直接的な水音が何度も何度も俺を襲う。危ない。本当に、危ない。とっさに顔を捻って横を向いたけど、結局耳が真上にきてしまい、藤代からは逃げられなかった。
頭が、変になる。
「……三上先輩って」
「っ!?」
小さい小さい声だったけれど、耳との距離がゼロの状態じゃ、小さい振動の方が敏感になる。いちいち吐息がかかってくるのが鬱陶しいはずなのに、俺は藤代の声に馬鹿みたいに反応してしまった。自分が気持ち悪い。
「結構、鈍いよね」
藤代が俺の腕を開放して肘を伸ばした。最初の体制に戻ったので、また少しだけ顔が見える。でも見なきゃよかったとすぐに後悔した。
ああもうくそ。困ってんのは俺の方だろ。なんでそんな顔する必要があるんだよ。
なんかそれじゃ俺が全部悪いみたいじゃねえか。俺だって分かんねえんだよ、本当ならこんな馬鹿蹴り飛ばしてるとこなのに。
ガキのくせに調子のってっからだ。この馬鹿が。やめろ、そんな顔すんな。そんな、震えてる笑顔なんて、見たくない。藤代がもう一度笑うと、身体が燃えるように鼓動した。ああ、そうか。

拒絶できなかったのは、拒絶したくなかったからか。

それ一つだけ残して、全ての回路が切れていく。だけど回路が切れていくのは全く自然なことのように感じた。
多分、必要ないから切れているんだろうと思うと、もっと安心した。
今度は俺がゆっくりと手を伸ばした。そしてそのままわずかに高騰した頬へとすべらせる。
戻れなくなる、と頭のどこかがまだ叫んでいた。さっきまで縋っていた声なのに、うるさいと思った。戻らない、と返すと静かになった。
ゆっくりと藤代のうなじに手を掛けて、引っ張り下ろす。唇が重なったのを確認してから、今度はしっかり目を瞑った。藤代がいつもみたいに笑った気がした。

衣服は取り払われた。着ている物と言えば、ぎりぎりまでまくられたトップスくらい。エアコンもついてるし、寒くはない。むしろ、熱いくらいだった。
なんて言っても、正直気温を気にする余裕は既になかったが。藤代の指が前をなぞる。あがる息を抑えつつ、必死で声を押し殺した。のどの奥ででかかった声が行き場をなくして疼いている。それを少しずつ、呼吸に乗せて吐き出すけれど、それでも。
しつこいんだよ、このエロガキっ!
心の中で悪態はつくものの、口に出したら意味をなくしてしまいそうで、耐え続ける。何度も何度も丁寧に扱われたそれは熱や血液が集まって、限界が近い。
「別に声出しても平気なのに」
「るっせぇ……ッも、いいッ!」
人の努力をなんだと思ってるんだこの野朗。無意識にシーツを手繰り寄せている手に一層力がこもる。正直何かへ力を込めていないと、もう本当にパンクしそうだった。イキたい、そうリアルに思った瞬間、藤代の指が後ろへ滑る。
「ッ、ちょ、ま、ふじしろ、やめっ」
「大丈夫、ちゃんとならすから」
「なに、……ッがッ……やぁ!」

大丈夫なんだ、返そうと思った言葉は中を探る指に押し戻される。何とか目を瞑って息を整えようとするが、うまくいかない。熱い。熱くて、熱くて、全部の神経が焼き切れそうだった。
静かに、浅いところを丁寧に弄くる藤代。その丁寧さがまた腹立たしく、また恐怖も煽る。できることなら今すぐ蹴り飛ばしてやりたいのに。
だが、分かっている。できないこと。もう、さっき分かった。
だけど、それとこれとは別だろっ?
歯を食いしばって、いつのまにか勝手に回っている腕に力を込めた瞬間、中の指が動きを止めた。
「三上先輩」
「な、んだよ」
呼ばれてうっすら目を開ければ若干下の方にあったはずの藤代の顔が真正面にあった。お互いの息が熱い。そんな距離で今日三回目の口づけをされる。舌を絡めようとしたら思い切り吸われた。
口内に藤代の液体も流れてくるのでうまく器官が使えない。唇は濡れていて、つたう唾液が自分のものかどうかは分からない。
本気で喰われるんじゃないかと思う。この男から逃げられる自分を想像できなかった。そう、かけらも。
「ちゃんと、顔見せて」
「は、あ……っせぇな…………ぅあッ!?」
「あー、すっげーイイ、俺センパイのそういう顔だいすき」
わざとタイミングを計って、指を急に奥に進めさせると、藤代の思案どうり、俺の身体は弓なりに跳ねる。そんな俺を見て、無邪気に笑う藤代はひどく獰猛だった。
「ね、センパイ」
「な、んだ、よッ…………あ、ちょ……! そッ……止めッ!!」
「せんぱい、三上先輩」
「……ぃあッ!―――――――――――――あああっ!!」

ちかちかひかって眩しかった。

「         」

熱に身体が貫かれたとき、藤代が何か言った。
半分頭が飛んでたから聞こえなかったけど、近いうちに分かるだろう。