花火は誰が為に

画面のなかの子どもは屈託なく笑っている。あはっ。まるでそんな笑い声が聞こえてくるようだった。今この瞬間が愉快でしかたない、それ以外のことは知らない、そう言わんばかりの野蛮に澄んだ歓喜がそこにあった。
忍田はささくれた指先でタブレットの画面に触れると、映像を止めて少し前のシーンからもう一度再生させた。動画は昨日のA級ランク戦の公開ログである。マップは市街地A、時刻設定は深夜。対戦カードは太刀川隊、嵐山隊、片桐隊の三つ巴だった。
嵐山がコンクリート塀に背を預ける。次の瞬間、スコールのような弾丸が降り注ぎ、並んでいた家々が瓦礫と化す。更地となったその場所で前触れなく嵐山の胸から弧月が生える。背後から太刀川が貫いたのだ。緊急離脱の軌跡がのびていく。そして試合終了を告げるアナウンスが響くなか、瓦礫のうえで出水は太刀川を振り返って笑った。
出水の左手からはトリオンキューブが生み出され、細かく分割されていく。生まれたばかりのちいさな弾丸は、ひとつひとつが生き物のように彼らのまわりを不規則に旋回し、そして夜空へと打ち上げられる。暗闇を照らしながら走る、うすみどりの光の粒たちはおとぎ話の妖精のようだ。その中心に太刀川と出水が佇んでいる。それはまるで世界の果てのような光景だった。

忍田がスタンドにタブレットを戻すと、書類仕事をしていた沢村が自席から立ち上がった。
「端的に言いまして、その試合から太刀川隊への好意的ではない声が出ています」
動画は彼女から目を通すことを勧められたものだった。忍田が目線で先を促すと沢村は話を続けた。
「観戦していた者の一部、というか最近入隊したての嵐山くんファンのC級ですね。A級ランク戦を初めて見たらしい彼らが「太刀川隊の戦い方はおかしい、防衛する気がない」といった内容の話をしていたようです。今回は相手が嵐山くんだったことに加え、ファンの多い烏丸隊員が抜けた直後であることと、出水隊員の最後のパフォーマンス的な変化弾、観戦者数が多かったこと、あと最近太刀川隊が防衛任務に入っていないことなどの様々な要素が重なって瞬間的に話が広がったようでして」
「なるほどな」
最後の理由は太刀川、国近の学業の遅れが原因だったように記憶しているが、確かに太刀川隊は先日の遠征に参加していたこともありシフトが減っていたのは事実だった。
「騒いでいるのはほとんど入隊から日が浅いC級隊員です。入隊数が多いので目立ちはしましたがこれまでと同様に自然に沈静化すると思います」
「頭に留めておく。ありがとう」
「いえ、私もラウンジでたまたま耳に挟んだだけですので」
「カメレオンのあともこうだったな」
風間隊が初めて隠密戦闘を披露したときのことは記憶に新しかった。大差がついた試合や、新しいトリガーや戦術が披露された後はこういった意見が出やすい。
「そうですね。そういう意味では太刀川隊の戦い方はかなりプレーンというか、戦法自体は尖っていないんですけどね。烏丸くんが抜けて更にシンプルになったくらい」
でもまぁどうしたって目立ちますもんね、太刀川くんは総合1位ですし、出水くんの射撃は派手ですし。そう付け足して彼女はデスクに戻っていった。
忍田は再びタブレットを手に取り、今シーズンの太刀川隊のランク戦ログを倍速で確認していく。片方が誘い、もう片方が獲る。太刀川と出水の連携は教科書通りで、沢村の表現にも納得がいく。これを見て戦術をとやかく言うのは筋違いだ。だからこそ市民目線に近い批判はC級の一部だけに留まっているのだろう。
……それにしても、本当に。
どの試合でも彼らは楽しげだった。高揚、興奮、多幸、そんな言葉が頭をめぐる。そして小さな光が瞬くように頭の中で警鐘が鳴った。時刻を確認すると、日次の定例会までにはまだ少しだけ余裕がある。忍田は画面を切り替えると隊員情報のデータベースにアクセスし、太刀川隊のそれを呼び出した。太刀川慶、出水公平、国近柚宇。リスト上に三人の顔写真と名前が表示される。つい先日までここに名前があった四人目、烏丸京介は転属に合わせて太刀川隊から木崎隊へ更新済みだった。
忍田はまず一番上にあった弟子の名前を選び、詳細情報をひらく。隊員の個人情報はいくつかの階層に分かれていて、簡単なプロフィールやポジション、ランク戦の戦績や保有ポイントは所属隊員なら誰でも閲覧が可能だが、それより深い下層においてある情報へのアクセスは一部の役職者だけが許可されている。「詳細」を選ぶと、非公開のそれが区分ごとに表示された。忍田はそこからヘルスケア情報を注意深く確認していく。身長、体重、視力、聴力あたりは大学、高校での健康診断結果を共有してもらっているので日付が昨年の四月になっているが、脳波検査やメンタルチェックの測定日はつい最近のものだった。卓上カレンダーを見て逆算する。二週間前の日付が入ったそれらの記録は、彼らが遠征帰還後に計測したものだった。
…………
慎重に目を通していくが異常値を表すマークはない。ひとまず素直に安心し「太刀川慶」の情報を閉じた。次いで二段目の「出水公平」を選択して中身を確認するものの、同じく異常は見つからない。「国近柚宇」も同様だった。
杞憂だったか。忍田はひとまず素直に安心し、ほっと息を吐いた。
先日の遠征で陽動役を務めた太刀川と出水は相当派手に戦った。あちらの基地をひとつ封じ、人型とも交戦したと報告を受けていたので、なんらかの影響を引きずっているのではと思ったのだが彼らの数値は遠征前後で何も変化は見当たらなかった。
適性があると判断して選抜しているとはいえ、頼もしいことだ。
遠征艇の外に出ないオペレーターはまだしも、戦闘員は未知の世界に自ら降り立って任務を遂行する。ひとつ判断を間違えれば敵地のど真ん中でトリオン体が解除され、生身で放り出されることだって起こりえるし、遠征艇内で過ごす時間や寝食にだってストレスはかかるものだが2人でうまい解消法でも見つけたのだろうか。
「本部長、そろそろ」
「あぁ」
沢村の声にひとまず意識を切り替え、腰を上げる。指令室は同じフロアにあるとはいえ定例会議まではもう五分を切っていた。
「そう言えばついさっき追加議題が入ってました」
「内容は?」
「『既存スポンサーからの要望と対応について』、外務案件ですね」
タブレット端末と回覧用の書類をまとめ、忍田は足早に部屋を出た。

各部署の定期報告と予定議題を消化し終わった後で、唐沢はモニターにとあるC級隊員のプロフィール情報を投影すると、先日入隊した大口スポンサーの子息、唯我尊がA級部隊への加入を望んでいることを口頭で説明した。
「さすがにこの件を断ったとして契約がなくなるようなことはありませんし、規定上認められないとして要望を退けることもできるでしょう。ただ本人が家柄を隠すタイプではなく、通っている学校も提携校ではありません。どうしたって配慮が必要になるのであれば、私はこちらの目の届くところに置いた方が良いかと思っています」
「そうさなぁ、自分の隊を作るからそれをA級にしろーって言ってこないあたりスレてないっていうかカワイげあるんじゃないの」
最初に口をひらいたのは林藤だった。頬杖をついて唯我尊のプロフィールを楽しげにながめている。
「傍若無人にふるまうには育ちが良いというか、かわいらしいご子息です」
「お父様はなんと?」
「他の隊員の親御さんと同じです。ご子息の意志を尊重したうえで、安全と活躍、そして成長を願ってらっしゃいます」
「つまり判断はこちらに任せると……まぁ、飲まざるを得ないでしょうな」
「あそこは桁も違うからのう」
「おっしゃる通りで。唯我コーポレーションは他のスポンサーにも影響力がありますし三門市とのコネクションも強い」
明確な言葉はなくとも、それぞれが導く答えは同じようだった。議論が収束していく気配が漂う。好ましい要求ではないが流石にこの程度を許容できないほど忍田も若くはない。
「分かった、唯我隊員のA級昇格は認めよう」
城戸の判断に異論はなかった。
モニターに映された唯我の情報をながめる。次は「ではどこへ?」だ。
忍田は手元の端末で現在の部隊リストを呼び出しながら思考をまわす。極端な話、A級という肩書だけつければいいのならどの隊にも入れられる。名前だけ連ねて防衛任務やランク戦、遠征も「諸事情により不参加」として扱えばいいのだから。幽霊部員ならぬ、幽霊隊員だ。けれど唯我は本人の意志でボーダー入隊を志望し、きちんと試験をパスしている。他の隊員と同じく、その事実は尊重するべきだ。
だが現実問題、彼を一人の戦闘員として迎えるとなると、受け入れる側の負担も無視できない。上層部からの推薦、あるいは命令の形になるが、唯我の要望を叶える以上、受け入れる隊の方にもメリットを―――
そのとき忍田の頭のなかに小さな光が瞬いた。
「忍田本部長、具体的な受け入れ先の案はあるか」
……隊長の納得を得られることが前提になるが、私は太刀川隊で調整したい」
「理由は」
「部隊への影響の小ささだ。スポンサーとの関係がある以上本部部隊のなかから消去法で考えるが、前提として既に隊員数が上限に達している隊は無しだ。その基準を崩すとランク戦や防衛任務への影響が大きすぎる。次に4人以下の部隊で考えたときに、戦術やコンセプトの機能低下が激しい風間隊は除外」
「人間関係はさておき、あれに今から新人が加わるのは厳しいでしょうな」
「そして中高生隊長の部隊は除外。年齢が近い彼らにこの組織都合の対応を求めるのは流石に過剰な負荷だろう。そうなるとある程度絞られるわけだが」
林藤が横から忍田のタブレットを使って「太刀川隊」の情報をひらいた。そのままモニターへの接続を任せ、忍田は説明を続ける。
「太刀川隊は元々戦闘員3名の部隊であり戦術も汎用的だ。戦術面での影響は少ないし、隊員らの性格的に深刻になりすぎず受け入れられると判断した」
「たしかにな、冬島のところよりは想像がつくわい」
……いいだろう。忍田本部長、太刀川隊長との交渉は任せる」
荷物は彼らの速度を鈍らせるだろうが、太刀川隊に関していえばおそらく悪いばかりではない。点と点をつなぐ線を確かめながら、忍田は城戸の指示に了承を返した。

翌る日、呼び出しに応じた太刀川が本部長室へやってきたのは午後四時を過ぎてからだった。応接用のソファをすすめ、忍田は日本茶を淹れてやる。沢村は「2人の方が話しやすいでしょうから」と気を利かせて席を外してくれていた。
「熱いぞ」
「うん、つってもトリオン体だけど」
背の低い机に煎茶椀を2つ置き、向き合って腰を下ろすと忍田は早速本題を切り出した。スポンサー企業役員の息子がA級部隊への編入を希望していること。組織運営のために特例として認めること。その受け入れ先として第一候補に太刀川隊があがっていること。そして会議ではあえて口に出さなかった現在の太刀川隊へ忍田が抱いている懸念と、唯我の加入がその助けになる可能性を順を追って説明した。
「烏丸が抜け、遠征機会も増え、隊全体が浮き足だって前がかりになっているようにも見える。はじめは技量の差に戸惑うかもしれないが、戦術を広げる機会だと思って前向きに考えてほしい」
遠くまで行きたいのなら、船には錨が、車にはブレーキが必要だ。加速だけではなく、全体の重量を意識して速度を制御し視野を広げることも重要だと説く。
……そのユイガくんのわがままはさておき、ウチそんな危なっかしく見えてんの?」
すると黙って話をきいていた太刀川が、指先で椀のふちを持ってひとくち茶を啜ってからそう言った。口調こそ気やすいものの、表情にはどこか硬さを感じる。雨が降り出す前のような静かな緊張が彼の内からにじむように漂っていた。
「誰に何聞いたのか知らないけどさ、俺もあいつもメディカルチェック異常なしだし、C級の話も嵐山と比べりゃみんな悪役でしょ、忍田さんの気にしすぎだと思うけど」
それでいて、どこかわざとらしい甘えが孕む声音だ。忍田はすこし意外に思った。13ほど年の離れた太刀川とは、彼がランドセルを背負っていたときからの長い付き合いになる。課題の遅れや私生活のだらしなさを指摘したときに幼稚な言い訳をすることはあっても忍田の意見を否定するようなことはほとんど記憶にない。「忍田さんは正しいから」そんな盲信を向けられていた時期すらある。思えば忍田が若年者へ善悪や正義を語る責任を意識したのはその頃だ。そうだ、ちょうど今の慶くらいの年齢だった。
そして忍田は太刀川が背負うものと、抱かれる警戒心の理由に思い当たる。「群れ」に横やりを入れられたら威嚇したくもなるだろう。彼は今、太刀川隊の隊長としてここにいるのだから。
……忍田さん?」
礼を欠いたのは私の方だな。やわらかく細められた瞳を見逃さなかったらしい。訝しむ太刀川の視線に、忍田はゆっくりと首を振って応えた。慶。一呼吸おいてから下の名前を呼ぶ。
「お前が懸念はないというのであれば、私の先の指摘は流してもらっていい、余計な口出しをした」
刀を構えるときのように敬意を払い、これまで何千何万と向き合った格子柄の瞳を見つめて言葉を待つ。それは先ほどとは違う種類の、けれどどこか落ち着く、明るく静かな月夜のような緊張だった。
……まぁ、ないっつったら嘘だよ」
しばしの間ののち、太刀川はそう呟いてからソファに身を沈め天井を仰いだ。
「京介がウチ抜けたでしょ。理由が理由だからしょうがないし、それはあいつらも納得してる。……でもやっぱりつまんなそうでさ。なんかそれ見てたら、迅がS級になったときのこと思い出したんだよな」
ほつれた毛糸をたぐるように話していた太刀川は、一瞬忍田をちらりと見て「つってもあの頃寝てばっかであんま記憶ないんだけど」と、茶化すように付け足した。
迅の名前が出てくるのは予想外だった。もう誰に勝っても負けても楽しくないから。あれだけ毎日入り浸っていたランク戦ブースで姿を見なくなり、流石に心配になって食事につれだしたときに、そんなことをこぼしていたことを思い出す。
「でもあいつら誘って隊作って、チームのランク戦やるようになってまた楽しくなったから」
あいつらにも、なんか。そう続けられた声は素朴で、けれど他人のよろこびを願うひたむきな愛情に満ちていた。忍田は静かに息をのんだ。相手が年若く親しい弟子であれども、ここは迂闊に侵してはいけない心の領域だ。
「国近には指揮と作戦立案やらせてて本人も乗り気で結構いい感じなんだけど、出水はバトってるときは一瞬楽しそうなんだけどそれだけっつーか、いまいち分かんねえんだよな……、いや、違うな、分かってはいて。そう、でも、それは俺じゃ……
そこで太刀川は言葉を切る。まぶしいだろうに白い天井を見たまま黙り込んだ。そして。
「そっか、これ俺が引き際見失ってたんだな」
あっけなくぽつんと呟いた。知りたくて、知りたくなかった。そんな相反する思いが込められた無防備な独白は行き場をなくしてただ彷徨う。
忍田が名を呼びかけるより早く、太刀川はソファに沈めていた身体を起こすと、姿勢を整えて再びこちらに向き合った。
「いいよ。唯我だっけ、ウチが引き取る。忍田さんの言う通りメリットありそうだし、銃手ならあいつに指導任せられるしちょうどいい」
……そうか、正直太刀川隊に了承してもらえて助かる」
ありがとう。率直に礼を述べると太刀川はかるく首を振った。
「何か困ったらすぐ言いなさい。相当、あー、にぎやかで個性的な子のようだから」
「はは、そりゃ楽しみだ」
ほとんど冷めてしまった茶に2人で手を伸ばし喉を潤す。するとふいに忍田のデバイスから聞き慣れた電子音が鳴り響いた。画面に目をやれば入隊手続き担当の事務職員からの遠慮がちな督促メッセージが入っている。時間を察して太刀川がソファから立ち上がった。
「じゃあ俺行くわ、模擬戦そろそろ付き合ってよ」
「分かってる、木曜でどうだ」
「え、今週いけんの? ラッキー」
部屋を後にする弟子の背中を見送りながら、忍田は昨日見た出水の笑顔を思い出す。
退屈とは真逆の、爆発するような喜びをたたえた、とびきりのそれを。あの夜を照らす花火のような笑顔は間違いなく太刀川の真心がもたらしたのだ。たとえ一瞬でも、一度きりでも、たしかに花火は咲いていた。それをいつか、伝えてやりたい。

END