佐鳥がラウンジのテーブルに広げていたのはやけにしゃれた感じの雑誌だった。
「なにそれ」
適当に構ってやろうと立ち止まり尋ねれば、後輩はいじっていたデバイスから顔を上げてきゅっとやわらかく目を細める。空いていた正面の席に腰かけると、佐鳥はその冊子をくるりとこちらに向けて差し出した。
「なんかね、大学のサークルで作ってるんだって」
「三門大?」
「私立のなんとか女子大、雑誌作るとかかっこいいよねえ」
そのフリーマガジンの表紙はきれいな海の写真をベースに淡いトーンでまとまっている。上の方に一番大きく目立つフォントで「MIKARI」と印刷されていて、たぶんこれがこの雑誌の名前なんだろう。
フリーマガジンといえば本部の売店にも無料の冊子が置いてあるけれど、あれは市が月刊発行しているものなので記事もちょっとお固めで中高生にはあまり人気がなかった。かくいう自分もカラオケかバーガークイーンのクーポン券がほしいときくらいしか手に取らない。それに比べると目の前の冊子はクラスで読んでいる女子がいても不思議じゃない、そんな雰囲気があった。
「なに、お前その女子大までいってもらってきたの?」
「ちーがーいーまーすー、もー先輩分かって言ってるでしょ」
広報の仕事絡みだろうことは想像しつつ口先だけでからかえば、親しい後輩はわざとらしく、でもすこし楽しそうに膨れてみせた。
頬杖をついて体勢をくずし、適当にページをめくってみる。誌面がカラフルなのでなんとなくアイス屋とかドーナツ屋のショーケースをながめているような気分だった。バニラ、ストロベリー、チョコ、ソーダ、オレンジ。そんなにぎやかでかわいらしい世界が続くなか、突如現れた「彼」の姿にページをめくっていた指がぴたりと止まり、ついでに心臓も止まりそうになった。
「―――なんで?」
思わず零れた声は我ながらあまりにも間抜けな響きだった。困惑のまま顔を上げると佐鳥はにやりと笑って「見た?」と身を乗り出してくる。
「は? なにこれ、あのふたりでアイドルとかやんの?」
無意識に指さした誌面のなかにいたのは太刀川さんと嵐山さんだった。右ページの嵐山さんは星でも落としそうな極上の笑顔のうえウインクまでくれちゃっており、左ページの太刀川さんは口角だけをかすかにあげて穏やかに佇んでいた。
「いや~その反応わかる。おれも最初みたとき混乱してすぐとっきーに電話しちゃった」
佐鳥は眉をハの字に下げて笑いつつもどこか神妙に頷く。おれが黙って視線で先を促すと、小南が世話になっている先輩がこのフリーマガジンを作っているサークルにいるらしいこと、制作時にトラブルがあって突発的に決まった企画であること、嵐山さんと太刀川さんの起用は今回限りであることなどを続けて話しだした。
事情と流れを理解していくのに合わせてすこしずつ心臓は落ち着きはじめ、代わりに「びっくり」で占められていた心に濁ったなにかがうすく澱みはじめる。それを佐鳥に気取られないように、意識して右ページに視線を落として呟いた。
「やっぱ嵐山さんめちゃくちゃかっこいいな、ウインク決まりすぎだろ」
「そんなに褒められると照れるな、ありがとう」
「なんだよ、俺もかっこいいだろうが」
「うわっ!」
突然降ってきた第三者と第四者の声に肩がはねる。顔を上げれば、はにかんだ嵐山さんと口を尖らせた太刀川さんが立っていた。
「おつかれさまです、会議終わったんですね」
「ああ、待たせて悪かったな。行こうか」
「はーい、太刀川さん出水先輩おつかれさまでっす」
「おう、いってら」
「おい佐鳥これどうすんの」
嵐山さんのあとに続いて席をたった佐鳥を呼び止めたものの「うちまだいっぱいあるからあげる!」と言ってそのままラウンジを出て行ってしまった。
フリーマガジンを挟んで取り残されたおれと太刀川さんはなんとなく顔を見合わせる。
「言ってなかったっけ」
「聞いてないっすね」
そうだっけか。すまんすまん。軽い口調で謝罪を繰り返し、太刀川さんは佐鳥が座っていた席に腰を下ろした。
「でもかっこいいだろ」
「そーすね、インタビュー短いし、ファン増えるんじゃないんすか」
「ん?」
「ファンサとかできんなら、おれにもやってよ」
彼氏なんだし。半径五十センチにだけ届く音量で呟いて後悔した。
だめだ。ちょっとイラついてる。言わなくていいことを言うのはよくない兆しだ。
なんとか向けてしまった棘を誤魔化そうと適当に笑って「なんちゃって」と付け足せば、太刀川さんはじっとこちらを見つめたまま、突然ぱちんと片目を瞑った。
「…………はあーーーーっ!?!?」
「うわ声でか」
「は、え、なに……はあ???」
「いやお前がやれっていうから、なにキレてんだ?」
「っ、べつに、キレてはないけど」
ウインクできんの知らなかった。暴れまわる心臓を抑えながら、ぼそぼそとそれだけ言うと、太刀川さんは真剣な顔で「左目はできない」と言った。
「……やって」
おれがせがむと太刀川さんの顔がくしゃっと不格好にゆがんだ。渋いものを食べながらまぶしいものを見た、みたいな、さっきとは正反対のかっこ悪いその顔におれはこらえきれず笑ってしまう。
「うはは、ほんとだ」
あーもー好きだなあ。しみじみ成就した恋を噛みしめていると、そんなおれの胸中を知ってか知らずか、太刀川さんはもう一回左目のウインクに挑戦し、今度は思い切り両目を瞑っていた。
出水もなんかやってよ。そう太刀川さんからねだられたのはその日の夜、布団のうえで裸になって抱き合っているときだった。
「え、ぁに、フェ、ラ? んっ、あぁ」
「違う違う、昼間のやつ。なんだっけ、ファンサ?」
「ん、んぁあ…っ、」
喋りながら浅いところにあるしこりを張り出した傘でひっかけるようにこすられて腰がわなないた。先に前で果てたおかげで手足は脱力しているのに、いじられることに慣れた足のあいだがじくじくうずいてたまらない。太刀川さんのちんこをひとくちだけくわえた穴のふちが震えている。この先にあるものを覚えてしまった身体がまだかまだかと焦れていた。
「できない?」
「そ、じゃ、ないっけど、……っ、てかあんた、ファンじゃ、ないでしょ」
「んん? じゃあ彼氏サービス」
「かれ、っ」
「なあ」
みせてよおねがい、と耳の中でとけた音はまるで呪文みたいだった。
「っ、んんっ」
甘えるみたいに顔中に口付けが落ちてくる。肌にこすれる髭も、低い声も、分厚くて汗で湿った身体もなにひとつかわいくなんてない。ないのに。でも、そう、この人はおれの。
「わ、かった、からぁ……っ」
頷くと、太刀川さんはのしかかっていた上半身をいそいそと起こして楽しそうに目を細めた。
「ちょうだい出水」
「~~~っ」
おれのことが大好きなんだって、欲しいんだってわかる。わからせられる。躾けられた心がシーツに投げ出していた右手を持ち上げ、口元へと動かした。太刀川さんの顔を見つめながら握っていた指のうち二本だけをちょっとだけ伸ばす。
最悪だけど。恥ずかしくて爆発しそうだけど。二度としねえけど。でもだって本気で望まれたら、あげたくなっちゃうのが男の性だろ。
さすがににっこり笑うなんてことはできず、唇はかみしめたままだけど、それでも、不格好なピースサインと視線はたったひとりに向けてやった。
「っあ~~~、恥っ、ずぅ…っ、死ぬ……っ!」
もうしない、二度としない、絶対しない。誓いを立てながら両手で顔を隠して悶えていると、中途半端に入れられていた太刀川さんのちんこが前立腺をこすり、そのままぬぽんと穴から出て行ってしまった。
「んあっ、も、太刀川さん…っ、いい加減ふざけてないでちゃんといれてってば……っ!」
いつまで焦らすんだと顔を覆っていた腕をよけて強めに請う。すると太刀川さんは下を向いて何かに耐えるように深く深く息を吐き、そしておれの右の膝裏をゆっくりと掴んだ。
「うん、全部やるよ」
覆いかぶさられながらたぶんそう言われたのだけれど、おれが盛大に喘いでしまったのでよく聞こえなかった。
END